「美味しいものを食べるためには、器も作らねばならない」
稀代の美食家であり、陶芸家でもあった北大路魯山人(きたおおじ ろさんじん)。
彼が1959年に亡くなってから、もう60年以上が経ちました。
今回は、青空文庫で読める彼の随筆の中から、昭和初期の空気感と食への執念が伝わる一編をご紹介します。
タイトルは『明石鯛に優る朝鮮の鯛』。
昭和7年(1932年)という激動の時代に書かれたとは思えないほど、なんとも呑気で、しかし凄みのあるグルメエッセイです。
明石鯛に優る朝鮮の鯛
- 著者:北大路魯山人
- 初出:昭和7年(1932年)『星岡』
- 読む方法:青空文庫(無料)、または各種文庫本
本文要約:明石よりも旨い鯛を求めて
魯山人が過去に食べた「最高の鯛」について語ったエッセイです。
世間では「鯛といえば明石」と言われていますが、魯山人はこれに異を唱えます。
彼が朝鮮半島へ青磁の窯跡を探しに行った際、偶然出された鯛の刺身があまりにも美味しかったというのです。
かつて昭和3年に訪れた際は美味しいものに出会えなかったが、順天や釜山の方面で食べた鯛は、地元だけで消費されるには惜しすぎる味だったと絶賛します。
「五、六月の候、加賀の海で捕れる鯛は、玄海灘を越えて朝鮮南端で産卵をする。その時期の鯛は栄養があって実に旨い。それ以外の時期は餌が乏しいから不味いのだ」
このように、地理と旬を論理的に分析し、「なぜその鯛が旨いのか」を説いています。
感想:激動の時代と「呑気」な美食家
昭和7年という時代背景
この随筆が書かれたのは昭和7年(1932年)。
五・一五事件が起き、日本が戦争へと突き進んでいく激動の時代です。
そんなきな臭い時勢において、魯山人は「朝鮮の鯛が美味い」と語っている。
ある意味で非常に「呑気」であり、浮世離れしています。
しかし、電気冷蔵庫もなく、飛行機や新幹線のような高速輸送手段もない時代です。
「美味しい刺身」を食べるためには、自らの足で産地へ赴くしかありませんでした。
国内の明石ならまだしも、海外(当時の朝鮮半島)まで足を伸ばすそのエネルギーたるや、凄まじいものがあります。
当時の読者はどう思ったか
現代ならLCCを使えば数万円で海外へ行き、現地のグルメを楽しむことは難しくありません。
しかし当時は、限られた人間しかできない贅沢だったはずです。
当時の人々は、このエッセイをどんな気持ちで読んでいたのでしょうか。
- 「さすが魯山人先生、俺たちもいつか食べてみたい」という憧れか。
- 「けっ、こんな時代に道楽ばかりしやがって」という嫉妬か。
おそらくその両方だったのでしょう。
社会情勢などどこ吹く風で、ただひたすらに「美と食」を追求する姿勢。
その揺るぎない「自分本位」な生き様こそが、北大路魯山人という人物の面白さなのかもしれません。
まとめ:青空文庫で読める「美への執念」
魯山人の文章は、時に傲慢に見えることもありますが、その根底にあるのは「本当に良いものを知ってほしい」という純粋な執念です。
わずか数分で読める短い随筆ですが、昭和初期の空気感と、食通の業(ごう)を感じられる一編。
スマートフォン一つで、当時の「究極の美味」への探求心に触れてみてはいかがでしょうか。




