1954年(昭和29)に「芸術新潮」掲載された手記というよりも手紙の内容をそのまま掲載したようなもの。とりあえず、内容を要約していますが、読んだ僕のフィルターを通していることをご了承ください。


青空文庫【北大路 魯山人】

『アメリカの牛豚』の要約

シカゴでの話。アイルランド人の経営している料理屋で食べたロブスターは伊勢海老に近い種類のようだが身が締まりすぎていて味がない。ニューヨークでもアイルランドの料理店に行ったがここでは客が陳列さている中から好みの料理を食べるのだけれども鮮度がなく、不潔にさえ思えて食べる気がしないのでビーフステーキを頼むと焼き方は良いけど、味はいまいち、サイズは日本の3倍はあった。

アメリカの牛豚の肉はどこでもあまり美味しくなく。合格点を出せるのは羊の脇腹の肉ぐらいで、卵もミルクもよくない。ニューヨークの印象としてアメリカ人は食欲があるのに、事務的に食事をする。

あとは町に1ブロックごとにドラッグストアがあり、此処では薬ばかりか日用雑貨やソーダ水、食事まで出来るようになっています。食堂はスタンド式が多く、たいていハンバーグとケーキ、オレンジジュースを飲んだ客が雑踏に消えて行きます。

ニューヨークのイタリア料理店マルキはお酒とソウセージがうまかったこと。とくにリング(たらの類)という魚の唐揚げが美味しかった。

「都」という日本料理屋ですきやきが出ましたが、鍋のようにゴチャゴチャで驚きました。主人に聞くと新潟生まれで、参考のために僕がすきやきの模範を示したところ、「へェー、すきやきというものは、そういうふうにして作るものですか」と目を丸くしていました。


読んで感じたこと

なぜこれ内容が「芸術新潮」に乗ったのかがなかなかな謎ですが、内容はとても興味のつきぬものです。ロブスターと牛肉のステーキは口には合わなかったようですが、なぜ『アメリカの牛豚』というタイトルなのかも気になります。

料理や卵、ミルクの鮮度に関して日本とは違い大きな都市の文化になるとどうしても落ちてしまうものだったのでしょう。冷蔵庫もなくほとんどが常温で販売れて居る時代の鮮度など推して知るべし。まして大都会であるシカゴやニョーヨークなのだから。

お肉も日本とちがい赤みの文化なので日本の牛のある程度油を持った品種でないことも理由としてあるのかもしれません。

其れよりも面白いのはドラッグストアの話、ソーダ水が販売していたとのことですがペプシもコーラもドクターペッパーもアメリカのドラッグストアで独自に販売していた飲み物が拡大していったものです。アメリカの文化を語る上ではドラッグストアは忘れるわけにはいきません。とりあえず、行けばなんでもある。今のようなコンビニをかなり拡大したお店であったことは確かです。

一番パンチが効いているのが、新潟生まれの主人がやっている日本料理屋「都」、魯山人が亭主に聞いたところ東京には行ったこともない人物のお店らしく。

魯山人のすきやきの模範を見て初めてすき焼きの作り方を知ったというのはいま世界中に広がっているお味噌汁や寿司と同じで正しい手順の料理を知らなくてもなんとかなるということが面白い。