1932年(昭和5年)に『岡星』に掲載されたもの。『魯山人の食卓』にとして書籍化している作品です。

とりあえず、内容を要約していますが、読んだ僕のフィルターを通していることをご了承ください。


青空文庫【北大路 魯山人】

北大路魯山人『鮎の食べ方』の要約

鮎は水から上げるとすぐに死んでしまうような弱い魚という印象があるが、実際は頭をはねてもぽんぽん躍り上げるほど元気ハツラツたる魚だ。姿は容姿端麗であるが家庭では美味しく調理することが難しい魚である。なにより鮮度の良い鮎が手に入らないといってよい。鮎を味わうなら一流の料理屋にたよるほかない。
鮎は容姿が美しく光り輝いているほどに味においても上等である。理想は釣ったものをその場で焼いて食うことだろう。
鮎の洗いとい食べ方があり、貧乏書生であって食べる機会がなかった。それでも、加賀の山中温泉に逗留のときに町のはずれの増喜楼という料理屋で鮎が生かしてありとても安かったからであるが、鮎の洗をつくってもらい食べてみた。とても美味いのだ。その時はすいぶん洗いを食べた。
人が訪ねてくるたびに増喜楼へ案内して、洗いをご馳走した。ところがたいていの人はあっさりと食わない。当時高い魚である鮎の頭や骨を捨てたのかと心配する。
鮎はそのほか、雑炊や葛の葉巻などあるが、うっかり食うとやけどするような熱いふつうの塩焼きをガブッとやるのが香ばしくて最上である。

『読んで感じたこと』

ホテルで仕事をしていた時に料理のプランとして鮎めしがでた。鯛めしは食ったことがあるが鮎めしはとんと食べたことがない。料理人に作り方を聞くと鮎をひたすらじっくりと4時間ほど焼くことで骨まで食べることが出来るからそれを配膳に置かれた小さない釜飯の中に入れて崩して食うという。残念なことにチャンスがまわってこず、プランは終わり食べる機会はなかった。

鮎は江戸時代では将軍の食べるものを籠に入れて専門の飛脚が江戸に届けることや岐阜では鵜飼が捕まえた鮎を鮨にして将軍に献上したこともある魚である。
日本全国どこでもとはいわないがそういった話は東京周辺に残っている。

鮎の食べ方と聞かれれば100人99人は塩焼きと答える魚ではあるが縄文時代から食べられている魚ではあるのだ。しかしながら食べ方を聞かれれば1択しか思いつかない。

魯山人が好む洗いという食べ方は、今まで川魚を刺し身にして食べるのは向いていないのでないものと考えていた。考えてみれば鮭と同じ品種の魚ではあるので刺し身で食べるということも出来るのかもしれない。

鮎を食べられるのは田舎では今でも探せばあるのは昔からの名残ということで、都会ではなかなかの高級魚だったようである。魯山人は本の中で京都では2円という価値があると書いていることからも伺える。

最後に、なんだかんだと考えたがやはり鮎は塩焼きにして食べるのが正統だと思う。