とある読書術の本に、次の言葉が紹介されていました。

書を読む者は、その精力の半ばを筆記に費やすべし

吉田松陰の言葉として伝えられている一節です。

本を読むだけでなく、読んだ内容を書き残すことにも、同じくらい力を注ぐべきだという意味なのでしょう。

書くことで内容を覚えられるということなのか。自分の中でかみ砕き、自分の言葉に置き換えることで、理解を深められるということなのか。

おそらく、読書で得たものを自分の血肉にするには、読むだけで終わらせてはいけないという教えなのだと思います。

現代のビジネス書でも、「インプットと同じくらいアウトプットが大切だ」とよくいわれます。

その一方で、吉田松陰は野山獄にいた約1年2か月の間に、492冊とも618冊ともいわれる書物を読んでいます。当時の本が現在の本より薄かったとしても、驚くべき読書量です。

ここで単純な疑問が浮かびます。

これほど多くの本を読みながら、本当に読書と同じくらいの力を筆記に使うことができたのでしょうか。

そもそも「精力の半ば」とは、読書時間と筆記時間を1対1にせよという意味なのでしょうか。

本を読んだ時間と同じだけ文章を書けば、内容を理解できるのか。多くの本を読む方がよいのか。それとも、1冊を繰り返し読んだ方がよいのか。

吉田松陰の読書を手がかりに、初心者に向いた本の読み方を考えてみます。

読書メモは、書き写すことを目的にしてはいけない

読んだ本の内容を覚えるために、読書メモを作るとよいという意見があります。

書き写すことに意味がないわけではありません。重要な部分を保存したり、文章表現を確認したり、後から読み返したりするためには役立ちます。

しかし、本を開いたまま重要そうな文章を書き写すだけでは、十分とはいえません。

大切なのは、本をいったん閉じて、次のように考えることです。

  • この章には何が書かれていたか
  • 著者の主張は何だったか
  • 自分は何を重要だと感じたか

そして、記憶の中から読んだ内容を思い出します。

学んだ内容を見ずに思い出す方法は、アクティブリコール検索練習と呼ばれています。

記憶の定着という点では、手を動かして書くこと自体よりも、頭の中から内容を引き出そうとすることが重要です。

読書メモは、思い出した内容を目に見える形にし、自分なりに整理するための手段です。

その後で本を開けば、何を覚えていて、何を忘れていたのかも確認できます。

読む
本を閉じて思い出す
自分の言葉で書く
本を開いて確認する

この流れによって、読書は文章を目で追うだけの行為から、自分で内容を再構成する学習へ変わります。

読書メモを作ったという事実ではなく、思い出し、整理し、間違いを確認したという過程に意味があるのでしょう。

「アウトプットすれば成功する」は話が飛躍している

ビジネス書や情報発信をしている人の動画では、「インプットとアウトプットは同じくらい大切だ」という言葉がたびたび出てきます。

この考え方には、正しい部分もあるでしょう。

人に説明する。問題を解く。自分の言葉で要約する。実際の仕事や生活で試してみる。

こうした行為は、読んだ内容への理解を深める助けになります。

しかし、「アウトプットを増やせば、仕事や人生で成功する」という結論まで進むと、話は飛躍しています。

頭のよい人が必ず成功するわけではないように、読書内容を覚えられることと、収入が増えること、仕事で評価されること、事業が成功することは同じではありません。

社会的な成功には、市場環境、人間関係、資金、能力、タイミング、継続力、運など、多くの条件が重なり合っています。

また、「アウトプット」という言葉自体も曖昧です。

本の文章を書き写すことも、SNSに感想を投稿することも、人に説明することも、実際の仕事で試すことも、すべてアウトプットと呼ばれます。

しかし、その効果は同じではありません。

重要なのは、外に何かを出したかどうかではなく、次のような点です。

  • 内容を思い出したか
  • 自分の言葉で説明したか
  • 実際に試したか
  • 間違いを確認したか
  • 結果を受けて修正したか

「精力の半ばを筆記に費やすべし」という言葉も、読書時間と筆記時間を厳密に5対5にせよ、という絶対的な教えではないでしょう。

読むだけで分かったつもりにならず、書いたり考えたりすることにも十分な力を使え、という意味に受け取るのが自然です。

ビジネスでいうアウトプットは、情報発信や成果物の公開を指すことがあります。

一方、学習におけるアウトプットは、思い出す、説明する、問題を解くといった行為です。

同じ言葉が使われていますが、この2つは分けて考えた方がよいでしょう。

松陰の読書は多読か、精読か

「精力の半ば」を、読書時間と筆記時間を厳密に1対1にせよという意味に受け取ると、松陰の読書量とは折り合いがつきません。

松陰は野山獄で過ごした約1年2か月の間に、492冊とも618冊ともいわれる書物を読んだとされています。

歴史書、儒学の経典、兵学書など、読んだ分野も幅広いものでした。

これだけの冊数を考えると、すべての本を同じ深さで読み、何度も読み返したとは考えにくいでしょう。

一度読んで情報を集めた本もあれば、繰り返し読み、深く考えた本もあったのではないでしょうか。

松陰の読書には、複数の読み方があったと考えられます。

1つは、多くの本から情報や事例を集めるための読書です。

もう1つは、重要な書物を読み、内容について考え、他人に講義し、自分の意見を文章にする読書です。

多くの本から考える材料を集め、重要な本については深く考える。

松陰は、多読と精読の両方を組み合わせていたのでしょう。

松陰の特別さは、単に大量の本を読んだことではありません。

本から得た知識を比較し、議論し、文章にし、現実の政治や自分の行動へ結びつけたところにあります。

ただ読んで終わるのではなく、読んだ内容を次の思考や行動に使っていたのです。

多読の利点と問題点

多読には、広い範囲の知識を得られるという利点があります。

同じテーマについて複数の本を読めば、著者による考え方の違いにも気づきます。

1冊目では当然に思えた説明が、2冊目を読むことで、その著者独自の解釈だったと分かることもあります。

複数の本で共通して説明されていることもあれば、著者によって評価が大きく異なることもあります。

多くの本を読むことで、1つの説明をそのまま信じるのではなく、比較するための材料を持てるようになります。

一方で、冊数だけを増やすと、「知っている気分」になりやすいという問題があります。

同じ用語や人物を何度も目にすると、文章が読みやすくなっていきます。しかし、見たことがあることと、何も見ずに説明できることは別です。

読み終えた本の数が増えても、内容を思い出せず、自分の言葉で説明できなければ、十分に理解しているとはいえません。

何度も見た言葉を「理解した」と錯覚する、読書のマジックにかかっているだけかもしれません。

多読は視野を広げますが、それだけで理解が深まるとは限らないのです。

1冊を繰り返す利点と問題点

1冊を繰り返し読むと、最初は見落としていた説明や表現に気づくようになります。用語や考え方についても、少しずつ理解が深まっていきます。

特に文学作品では、結末を知った後で読み返すことで、伏線、人物の心理、文章表現などが、以前とは違って見えることがあります。

1回目には物語を追うことに精いっぱいでも、2回目には細かな表現や人物の変化に注意を向けられます。

一方で、1冊だけを繰り返すことにも問題があります。

その著者の価値判断や説明の癖まで、その分野全体の常識だと思い込んでしまう可能性があるからです。

同じ本を何度も読めば、その本については詳しくなるでしょう。しかし、その分野全体について詳しくなったとは限りません。

反対意見や別の解釈を知らないままでは、理解が深まるというより、1つの考えへの確信だけが強まることもあります。

1冊を深く読むことと、1冊の考えに染まることは違います。

深く読むためにも、どこかで別の本と比較する必要があります。

初心者はどう読むべきか

初心者には、多読か精読かのどちらか一方を選ぶ方法は勧められません。

最も失敗しにくいのは、1冊を軸にしてから、少しずつ比較する方法です。

1.入門書を1冊読む

最初から細部をすべて覚えようとせず、全体像をつかみます。

重要な人物、用語、時代の流れ、著者の結論を大まかに理解します。1冊目の役割は、その分野のおおまかな地図を作ることです。

初めからすべてを理解する必要はありません。

どこに何が書かれているのか、どのような問題があるのかが分かれば十分です。

2.本を閉じて思い出す

1章読み終えたら、本を閉じます。

  • 何について書かれていたか
  • 重要な点は何か
  • 疑問に思ったことは何か

この3つを思い出します。

すべてを正確に思い出す必要はありません。思い出せなかった部分が分かることにも意味があります。

3.必要な部分だけ読み直す

1冊全部を最初から読み直す必要はありません。

思い出せなかった部分、理解できなかった部分、自分の目的に関係する部分だけを読み直します。

再読は回数を増やすためではなく、自分の理解を確認し、修正するために行います。

「2回読んだ」という実績を作ることよりも、分からなかった部分が分かるようになったかどうかが重要です。

4.同じテーマの本をもう1冊読む

2冊目では、1冊目との違いを探します。

  • 共通する説明は何か
  • 異なる説明は何か
  • 1冊目にはなかった視点は何か

2冊を比較することで、1冊目の著者の立場が見えるようになります。

1冊だけを読んでいたときには事実だと思っていたことが、実は著者の解釈だったと気づくこともあります。

5.自分の問いを1つ作る

2冊ほど読んだら、自分が本当に知りたいことを1つ決めます。

吉田松陰についてなら、次のような問いです。

  • 松陰の教育は、門下生にどこまで影響したのか
  • 松陰の思想は、門下生にそのまま受け継がれたのか

問いができた後で、その問いに必要な本を深く読みます。

ここからが、本当の意味での精読です。

良い再読とは、問いを持って本に戻ること

同じ本を繰り返すだけでは、必ずしも理解は深まりません。

重要なのは、読み返すときに新しい問いを持っていることです。

別の本を読んだ後。実際の経験をした後。自分の考えを書いた後。他人から反対意見を聞いた後。

そのような状態で以前の本に戻ると、最初に読んだときには見えなかった部分が見えるようになります。

良い再読とは、

同じ自分が、同じ本を繰り返すこと

ではありません。

知識や経験を増やした自分が、以前の本に戻ること

です。

本の内容は同じでも、読む側が変われば、見えるものも変わります。

何も知らなかったときには理解できなかった一文が、別の本を読み、実際の経験を重ねた後では、急に意味を持つこともあります。

再読の価値は、同じ文章を何度も目にすることではなく、以前とは違う自分で読み直すことにあるのでしょう。

まとめ

多読と精読は、どちらか一方を選ぶものではありません。

多読は、考えるための材料と異なる視点を与えてくれます。精読や再読は、重要な内容を自分の中に定着させ、理解を深めてくれます。

ただし、読んだ冊数や読み返した回数だけを目標にしてはいけません。

大切なのは、次の過程です。

  • 読んだ内容を思い出す
  • 自分の言葉で説明する
  • 別の本と比較する
  • 現実の経験と照らし合わせる
  • 間違いに気づいたら修正する

初心者は、まず1冊の入門書でおおまかな地図を作る。次に、重要な部分を思い出し、必要なところだけ読み直す。

その後で別の本を読み、自分の問いが生まれたら、その問いに関係する本を深く読む。

吉田松陰の読書から学ぶべきなのも、単に大量の本を読むことや、大量の文章を書くことではないでしょう。

読んだだけで分かったつもりにならず、考え、書き、語り、現実と結びつける。

そんな姿勢が、読書という行為が自分の知識や経験へ変わるのかもしれません。