世界が終わっても続く日常:漫画家と編集者の会話劇レビューの感想
あらすじ
世界が崩壊した後、電気や夜間の行動に制限が課され、マスクと手袋が生存に欠かせない世界。人々はその過酷な環境に徐々に適応していく。そんな中、世界が終わる前から漫画家を目指していた真野は、編集者のK澤さんと壊れたファミレスで漫画連載のネタを話し合う。
登場人物
- 真野(まの):漫画家を目指す主人公。
- K澤:真野の担当編集者。
- M原:第8話で登場する真野の漫画家仲間。
感想
独特な世界観と物語の魅力
正直、1話だけを読んだ際はそれほど強い印象を受けなかった。しかし、単行本として通して読むと、緻密に構築された世界観と物語の魅力が際立つ。原因不明の崩壊後の世界で、バイトをしながら漫画家を目指す真野と編集者として働くK澤が織りなす物語。なぜ「K澤」なのか、その「K」の由来すら不明だが、雑誌を発行できるだけのインフラが残り、制限はあるものの電気が使える状況が描かれる。
この世界は、生きるだけで手一杯かと思いきや、漫画家を目指す余裕があるほど平和な側面も持ち合わせている。この不思議なバランスが、作品の独特な雰囲気を生み出している。いわゆる「セカイ系」作品かと思いきや、物語が進むにつれて小出しにされる情報から、作者が緻密な設定を頭の中に持っていることが伺える。ただし、1巻で完結しているため、その全貌は明かされないまま終わる。
1巻で描かれる1年の物語
本作は1巻で完結しており、物語は1話ごとに時間が進む。1話では真野がタートルネックに上着を着ていることから寒い季節が舞台だが、雨の多い季節やノースリーブの時期を経て、最終話では桜が咲き始め、漫画の連載が始まり終わる。1巻で1年を描き、漫画の連載が完結する流れが自然に感じられる。人気が出れば続編があったのかもしれないが、1巻の構成だけで十分に物語が完結している印象だ。
世界崩壊の謎と日常の対比
最も気になるのは、「なぜ世界が終わったのか」という点だが、これは最後まで解明されない。マスクが生存に必須で、うっかり外した人が亡くなったというエピソードがさらりと触れられる。また、雨が降ると視界が遮られる描写から、空気中に有害物質が漂っていることが示唆される。ビルにヒビが入り、窓ガラスが割れている光景からも、単なる環境汚染以上の何かがあった可能性が感じられる。
この作品の連載開始は2020年6月19日、完結は2020年10月23日。この時期は、コロナウイルスが世界的に猛威を振るい、日本でもマスクや手袋が不足し、医療機関が逼迫していた時期と重なる。このタイミングでの連載開始は、作品のテーマに影響を与えた可能性が高い。コロナ禍で「世界が終わる」可能性を多くの人が感じた時期に、崩壊後の世界で日常を続ける人々を描いた本作は、時代を反映した作品と言えるだろう。
シュールな日常と漫画家漫画の魅力
世界が終わった中でも、漫画家としてネームを描き、編集者と打ち合わせをする真野の姿はシュールだ。しかし、この設定は「世界が滅んでも日常は続く」というメッセージを強く伝える。物語の中心は、真野とK澤の会話劇。二人は連載のための漫画の設定を詰めていく中で、互いの内面に踏み込み、最終的に雑誌連載に至る。この過程は、漫画家と編集者の関係性を描く「漫画家漫画」としても見事に成立している。
『あの世のガールズバー』のメタ構造
第10話では、真野とK澤が作り上げた漫画『あの世のガールズバー』が登場する。この作品は、客の来ないバーで二人の女の子が会話する物語で、舞台が「あの世」である点が特徴。実は、この設定は本作『世界が終わったあとの漫画家と編集者』と構造的に相似している。本作が「終わった世界」と「漫画家と編集者の会話」を軸にしているのに対し、『あの世のガールズバー』は「異世界(あの世)」と「女の子二人の会話」を軸にしている。このメタ構造が、作品に深みと遊び心を加えている。
最終話では、『あの世のガールズバー』の4話目の原稿が編集者に渡され、連載が始まる。桜が咲く中、真野が「あっという間でしたね」と語り、物語は終わる。K澤やM原が不在の描写から、彼らが亡くなった可能性が示唆されるが、それでも日常は変わらず続く。この結末は、アジア的な循環する時間観や、変わらない日々の繰り返しを感じさせる。
目次
各話レビュー
第1話:強さ
壊れたファミレスで真野がK澤にネームを見せながら、需要のある漫画について語る。崩壊後の世界の生活情報がさりげなく織り込まれる。K澤曰く「人気の作品にはエロが必要」とのこと。
第2話:優しさ
「優しさ」をテーマにした漫画のネームがまとまらず、気分転換に外を歩く真野。自動販売機で飲み物を買い、晴れた日なら短時間マスクを外しても大丈夫らしいことが分かる。世界の終わりにも慣れ、緊張感が薄れてきた様子が描かれる。ラストの引きが巧妙で次話への期待が高まる。
第3話:個性
2ページ見開きで読むと、前話のラストと次話の1ページ目が連続性を持ち、興味を引きつける。真野の漫画の強みを活かす企画を考える中、突然の外出禁止令が発令される。
第4話:裸
漫画家の個性を出すべきかという議論が展開される。「…人生が続くのですから…」という言葉が、崩壊後の世界で響く。第2話で描かれた「慣れ」のテーマとリンクし、マスクを長時間外すと死に至る事実が明かされる。
第5話:幸せ
雨が続き、K澤と手紙でやり取りする真野。手紙の内容がそのまま物語を進め、滅びかけた世界でも幸せを見出す人々がいることに希望が感じられる。
第6話:悪
K澤が「悪」なのかという話や、漫画のフックについての議論が続く。K澤の提案する「異世界」と「ガールズバー」が物語の鍵となる。真野が受賞した当時はまだ世界が終わっていなかったことが示唆される。
第7話:天丼
前話で決まった「ガールズバー」と「異世界」をテーマにネームを進める。ネームが通ったことで饒舌になる真野だが、通らなかった場合の3話完結の案も用意していたことが語られる。題名の「天丼」は、K澤が食べ物の話題から天丼に言及する場面に由来し、生きる欲望が垣間見える。
第8話:桜
K澤が真野に漫画家の友人M原を紹介。ノースリーブの描写から夏頃の設定が伺える。M原がスケボーを始めるなど、終末世界でも新しいことに挑戦する空気が感じられる。連載が続いていればM原の再登場があったのか、気になる点だ。
第9話:距離
漫画のキャラクターに恋をするか、死生観についての会話が展開。最終話直前だけに意味深にも感じるが、実は深い意味がない可能性も。報われないキャラクターの話が次話への伏線か。
第10話:日々
『あの世のガールズバー』の1話が雑誌に掲載され、4話目の原稿が渡される。桜が咲く春の訪れと共に、真野が「あっという間でしたね」と語り、物語は終わる。K澤とM原の不在が示唆されるが、変わらない日常が続く。
総評
『世界が終わったあとの漫画家と編集者』は、終末世界での日常と創作の営みを描いたユニークな作品だ。コロナ禍という時代背景を反映しつつ、シュールでありながら普遍的なテーマを扱う。真野とK澤の会話劇は、漫画家と編集者の関係性をリアルに描き、メタ構造を通じて読者に物語の深みを味わわせる。1巻完結ながら、読後には多くの余韻と考察の余地を残す作品だ。