綺麗な絵の漫画しか読まない時代がありました。ストーリーよリも絵を重視してカッコいい、かわいい、そして少しえっちな絵の漫画を買う時代。そんな時代もありました。
しかし、人は成長するもの。
年を取り絵を気にせず内容だけで判断して漫画を読めるようになっていきます。
人間は成長するんです。
時と共に食わず嫌いはよくないということを学びましたとも。
実際、どんな絵で描いてある漫画でも同じ絵を描き続けるのはやっぱり技量のあることだと思うのです。そんなことはないという方は、試しに正面からの絵を描いてからその絵の横向きの絵を描いてみたらいいとおもうのですよ。
何を伝えたいのかというと、漫画は絵は重要だけれどもそれ以上に内容が大切なのですよ。
それを踏まえて、施川ユウキ先生の『バーナード嬢曰く。』です。それほど絵柄がいいわけではないけれども、内容は間違いなく面白い漫画です。
図書室で世界の名言集を読んでいる女学生・町田さわ子、彼女は周りの人のバーナード嬢と呼んで一方的に自分のあだ名を人に名乗っている。
そんな彼女と他の登場人物を合わせて4名。
背景は本棚とテーブルのみと簡素。
彼女たちが図書室で本をネタに学生の放課後のような会話をしている漫画
『バーナード嬢曰く。』に出てくる書籍のタイトルも内容も知らなくても問題ない。漫画の中で書籍の必要なことは会話で説明してくれるのでなんの心配もいらない。ただ本好きの学生が図書室で無駄話をしている学生生活を眺めれば楽しめるようになっている。
放課後、図書室で本の話をしている学生たちのイメージが想像できない人は、放課後に教室で友達と話している学校での出来事の他愛のない話、コンビニの前で集まって話しているテレビの面白かった話、そんな話をしている空気と同じだ。
学校の出来事の話やテレビの話が本の話に変わっているだけだ。
みんなで集まって最初に出てくる話題の話のシーンを切り取った漫画、ただ場所が図書室であり、話題が本になっているだけ、何となく集まって話した話なんてほとんど覚えていないけれども延々tお無駄話を続けていたいと思ってしまう空気感をである。
もちろん、彼女たちの話している書籍の内容が分かればさらに『バーナード嬢曰く。』を楽しむことが出来る。SF小説を読まない僕でもSFの話をしている神林しおりの勢いや好きなことを話しているときの話したい話したいと思っているオーラは分かってしまう。
言いたいことをとめどなく話すのは楽しいだろう。聞いてくれる相手がいることは幸せなことだろうなと彼女に共感するはずだ。
好きなSFの話をしている時の神林と貴方が好きなことを話している時の雰囲気はそう違いはないはずだ。前のめりになり、自分の話したいことを雪崩のごとく相手に浴びせかける。
主人公である町田さわ子も周りの人のバーナード嬢と呼ばせるようにするという中二病、もちろんそんな名前で誰も呼んではくれないが彼女はジョージ・バーナード・ショーというイギリスの劇作家の名前を掛けて呼ばせようとしている。学生時代にあなたの周りにはそんな人物はいないかもしれないが、まごうことなき中二病である。同じようなことをした人物として江古川乱歩がアメリカの小説かのエドガー・アラン・ポーから来ている。ほぼ同じ中二病だ。
今、江戸川乱歩のファンを敵に回した気がする・・・・
あと漫画の中の町田さわ子は図書室にいるが読書家ではない。それでも病床で尾崎放哉の句集は読まないことを考えると本を読む人である。
他の人物で遠藤君は町田さわ子に興味があり話に絡んでくる。図書室に来るような人物なので本を読むのだが、昔に流行した本が人々から忘れられたころに流行っていた本を読むという変わった人物だ。1巻、2巻と巻数を重ねるごとに町田さわ子ではなく長谷川スミカとの会話が増えキャラの個性ができていく。
話にでた長谷川スミカ、彼女は図書委員であり遠藤君をひっそりと見ている女の子であり、遠藤君に係ると少々ストーカーじみた妄想をする。もったいないことにこの妄想のこの個性は話が進むごとに無くなっていく。また、シャーロピアンである。
※シャーロキアンとはシャーロックホームズの熱狂的なファンであり、ホームズを実在の人物のように語る人達である。
登場人物は、町田さわ子、遠藤、神林しおり、長谷川スミカの4名だ。彼女たちは図書館で書籍の話をする設定を外せば近くの人で似たような人物がいるのではないだろうか。
ストーリー漫画ではないので、テーマとして書籍にかかわる話で毎回している。1巻は名言を使い話を盛り上げ、オチとして使っている。
しかし、作者としても使いやすい名言がないこと、長い名言や話の前後が分かっていないと意味の通じない名言が多いので本を読む人のあるあるな内容や書籍を読んだよきの素朴な疑問などを話題していく方向へと路線変更していくのだ。
その中でも気に入っている物をあげてみよう。
まずは、1巻51ページの町田さわ子と神林しおりの会話
神林しおりが読んでいる本を町田さわ子が読んでみたいから貸してといわれ渋ると、さわ子の「だったら、いい、いい」の返事をするにさわ子に神林は怒鳴り本を貸す。
神林は
本を読みたいと思ったときに読まなくてはならない。
その機会を逃がし「いつか読むリスト」に加えられた本は時間をかけて「読まなくてもいいかもリスト」に移り
やがて忘れてしまうのだ。
※51ページからの引用
名言だと思う。本を何冊かまとめて買う。
買った本のうち半分は読むが残りはまたいずれと
その後、その本は本棚の肥やしとなってしまっている。
積読をする人には良くあるのではないだろうか。
そしてこの言葉を読んだ時にその通りだと思いつつ本棚に軽く目が移り逸らしてしまった。
57ページの町田さわ子と神林しおりの会話
町田さわ子がSFを読んでいても内容が理解できないことにたいして
神林しおりは
「みんな実は」
結構 よくわからないまま読んでいる…」
「……に決まっている!」
頭の中で”そうだ!そうだ!”と叫んでいた。
専門外の本を読むときやSFを読むと内容は理解できないし、文字が頭に入ってこないと思いつつ読むことがある。
人から借りたときは特に、貸してくれた人はこの内容を理解してるのか。あいつが理解しているのに僕は理解できない!と葛藤してしまう。
しかし、本当の答えはこれだ。
読者も理解していない。そして作者も分からないまま書いてるんだ。
と言い聞かせるいい内容である。
『バーナード嬢曰く。』の描かれている絵はとても簡素でキャラクターと図書室の本棚だけの漫画である。本棚に並んでいある本が斜めに置いてあるという実際にはできない漫画的な表現の本棚が描かれている漫画である。
小説やエッセイを読む4人の学生の話、本好きなら彼女たちの会話は楽しめる。自分が知っている本のタイトルが出るたびに「この本読んだぞ、知ってるぞ」という気持ちになる。
本が好きでなくても、学生の放課後の仲間と集まって何となくしていた無駄話をしていた時の空気感を思い出しながら見ると楽しめるはずなので、ぜひ読んでみてほしい。
漫画を読みたくないならアニメ化もしているのでそちらを見てもいいかもしれない。