保存版 古写真で見る幕末・明治の美人図鑑
なんというタイトルであろうか幕末・明治の美人とはどんなものかと気になり本を眺めてみる。その写真の多くは日本人ならだれもが想像する髪型と着物姿の女性の写真が多くあり、その女性の足元を見れば高下駄を履いている。
私が思い描いた江戸と明治の境の女性の姿である。しかしながら写真というその瞬間の景色や風景をそのまま写し取る機械が日本の入ってきて間もない時代の写真には、多くの誤解をされたデマが人々に囁かれていた時代には、撮られると寿命が縮むといった噂、写真一枚の高額な価格などの多くの問題のあった。この時代の写真の多くの写真は風俗を記録した外人向けの写真から広まっていった。
さて、この美人図鑑の美女はどんなものか?
確かに今でも通じる美人が多く載っている。時代が流れても変わらない美女とでもいうべきなのかもしれないが、今の時代から見れば粒子の少し荒い写真に幕末・明治の美女たちの多くは名前もわからない芸者などの写真が大きく載っているもちろんその時代の有名な名前のわかる女性も取り上げられており、昔の美人というものを存分の楽しむことができる。
この前の見た戦前の美人女優のスチール集を見たのだがその写真にも劣らない、いや勝っているかもしれない美人の白黒の写真を眺めていると、どの時代も変わらない美人のルールというものがあるのではないかと感じさせられる。
明治初期に美人として名高い陸奥亮子の写真を見るとその美貌と素晴らしいこと、ほかにも美人の写真はあるがこれはずば抜けていると感じられる。また明治の美人コンクールでミス日本となった広末ヒロ子の写真は白黒なことが惜しく思えるものである。私の好みとしては、滋賀県代表と神奈川県代表が好みではあったが、中には眼鏡を付けた女性の写真も存在ある。この美人コンクールは芸者などの商売の人を除いての大会ではあるが、ミス日本となった広末ヒロ子は世界写真美人コンクールで第6位になっているほどである。
もちろん、この時代の美人の代名詞であった芸者の写真展の写真もあり、有名なものは東京百美人がある。こちらは広末ヒロ子が優勝したコンクールよりも早く始まっており、その上位は京橋の芸者でしめられていた。その写真展は凌雲閣という浅草にあった12階建てのタワーが客を集めるために行ったもので、その効果は大反響であった。
その中でもっとも人気が出た芸者が洗い髪のお妻という人物で写真撮影の当日髪結いが来なかったために、結われていない髪をそのままの写真が使われ、その他の芸者とは違う髪型と普段見ない髪の型からくる色気から人気を博し、その後はお座敷に呼ばれることが増えた。芸者のすべてが美人ではなかったのだろうが美しさへの意識が強かったのではないかと思わせる。この当時の芸者には時代の流れに乗れなかった武家の娘が芸奴になっていたりするためにより美人が多かったのではないかと考えさせられると同時に多くな時代の変化はいままでの生活を一変させる原因になることを思わせる。有名な人物として陸奥亮子も明治維新後は芸奴を行っていたりする。
また図鑑の中にはセミヌードの写真もあるがそれ以上に不思議なカラーの写真が存在する。あとから着色を行っているとおもわれるのだがほんとうにそんな色だったのか疑ってしまうような着色になんとも違和感を感じてしまうのは私の器量がないためであろうか。
写真に写っている美人を見ているとやはり化粧にやり方には時代を感じさせられる。今の女性ではあまりにないような太い眉毛やほとんど表情を感じさせない顔に昔の写真であることを意識させられる。
見ていくとまだまだ写真が今ほど簡単に撮れないことを理解させられることとしてほとんどの写真がスタジオで撮影されていることで試行錯誤の時代であったのだろうことが見えてくる。当時の写真は1枚とるにも数分ほどの時間を必要とするために、ブレていたり粒子が荒かったりと粗はいくつも見つかる、良い写真もあれば外国に日本を勘違いさせるような風俗の写真などが外人のお土産として出回ったことを考えると写真という新しい文化が凄まじい勢いで浸透していったことがうかがえる。
芸者の中には、名刺サイズの写真を人に配っていた人もいたようで、このような写真の利用が広がるにつれて日本の文化であった浮世絵が衰退していく背景もより理解できる。
昔ながらの日本の美人を見たいと思ったら是非とも一度は目を通してもよいのではないかという感想を締めくくりにしておこう。