2009年、月間コミックビーム3,4月号にて田辺剛によって描き出されたクトゥルフ神話の1つ「神殿」マンガのジャンルとしてはホラーに属する怪奇マンガ。
神殿はラブクラフト傑作集『魔犬』に掲載されている短編に1つ
⇒ ラヴクラフト傑作集 神殿が載っているマンガの感想
まっ黒い画板を力いっぱいガリガリと削りどうにか黒を削り落として白色を作り出したかのように、黒の中からむりやりに白を生み出すように描かれた神殿と言う作品。
黒より白が多いページであっても黒の中から生じた白はどれだけ明るく見えてさえも白には薄気味悪さが纏わりつく。
不穏という言葉だけでは言い表せない不気味さがどこのページからの黒色から滲み出している。薄気味悪さにとりつかれたマンガを読んでいるような感覚に陥っていく。
作品の話をしましょう。
まず、クトゥルフ神話とは1920年代に怪奇小説作家であるラヴクラフトが作り上げた作品の世界観を元にして様々な作家が新たに作品を書くことで広げて架空の神話。
大雑把に説明してしまうが、正直知らなくても面白さにはさほど影響はない。知っていれば知っているで違う視点での見方もできるのもたしかではある。
『神殿』のストーリー
1917年、ドイツが無制限潜水艦作戦を開始した半年間の間に起きた出来事、世界は第一次世界大戦真っ只中。
ドイツのUボートと呼ばれる潜水艦が輸送船を撃破する任務中、沈めた船のイギリス人の船員の遺体が海面へと浮上した潜水艦に引っかかる。その遺体が持っていた象牙細工を抜き取り死体を海に捨てるところから事態は急変していく。
潜水中の海の中で死体を率いるイギリス人の幻を見る者が現れ、エンジンは故障して潜水艦は浮上ができなくなる中で、また一人また一人と船員は極限状態からか精神が衰弱していく。弱気になる船員たちが降伏を口にして暴動をしたために艦長によって処分される。
艦内には艦長と副艦長だけになった潜水艦は浮上することもできずにただ海の波に流され沈んでいく。そして沈んだその先で高度な古代人の遺跡を見つける。
船員の狂気と船長の狂気
戦時下であり、潜水艦という閉じ込められた環境という極限状況、象牙細工を手に入れてから見えるようになる幻覚のためか2人の船員が行方不明になってから船内に広がる不安。
トラブルにより航行することができなくなる潜水艦、不安は限界に達して船長に降伏するように求める船員たち、それを聞いた船長と副船長は船員を射殺する。
とても残酷なことではあるけれども潜水艦内で反乱をされる前に制圧するという意味では正しい判断ともいえる。
ドイツ軍人であろうとする艦長の冷徹さとは対象的に幻覚を見て航行もできなくなる潜水艦という極限の状況に精神の限界に達してしまった船員たち。この比較によって両者を対立する状態が描かれている。
この対立軸も船員たちの死によって解消されるのだが、艦長ともうひとり生き残っている副船長は浮上できなくなった潜水艦の中でただ死を待つだけの状態のなかで、副船長は神に祈りを捧げるようになる。
船員を殺した1人である彼も信じる神はあるはずであり、どうすることもできない状況なら神頼みをするのも人としての弱さともいえる。
このとき彼が祈りを捧げている神は、彼が本来信じている神ではなく象牙細工に対して祈りを捧げている。
本来信仰している神ではなく、イギリス人のポケットにあった象牙細工を神のように祈りの対象にしている副船長、彼もまた船員たちと同じように不安に耐えきれなくなり、理性が極限的な状況に耐えられなくなっている。
理性と非理性との対比が生まれている。
船長と対比としての存在となった副船長も正気を保てなくなり外に出れば死ぬことをしりながら潜水艦の外に出て死を選ぶことで、艦内に残るのは船長のみとなる。
この作中で象牙細工に関しての対立は3回ある。その全てが理性と非理性との対立の中で描かれ読者に何が原因であるかを教えてくれる。
そしてラストでは読者は”ああぁ”と思うように象牙細工が原因で艦内での狂気が発生したことが教えてくれる。
しかし待ってほしい。
艦内ですべてがおかしくなっていく中で唯一人、冷徹に状況を監視している男が居る。
そう艦長である。
彼だけがなぜ理性的なのか。副艦長が潜水艦から外に出るときに一瞬だけ象牙細工を手に入れたいと思いながらもその気持ちを退けることができたのか。
彼が軍人として優秀で人としての高い理性があったからとも考えられるけれども、それは違うのではないか。
彼がどうして理性を保てたのか。極限状況であり、謎の象牙細工によって引き起こされる異常な状態、それに対して艦長がまるで影響を受けていないのはなぜか。
それを考えるには彼の発言から見えてきます。
船員が暴動を起こしたときの言葉
「ゲルマン民族のホコリを思い出せ」
「我々帝国軍人は降伏などせぬ」
浮上も航行もできず2人長になった潜水艦の中で
「帝国のために何ができるかを考えろ」
海底に文明の跡を見つけた時
「忘れられた都市を最初に歩む者はドイツ人である私でなければならない」
常にドイツを優先するドイツ軍人としてのあり方と遺跡から音や光を見たときも自分が狂っていると冷静に判断する頑丈であり無神経な神経が正常ならざる状況でさえ常に冷静さを保つことができた。
ここで彼は常にドイツのことを最優先にいる。ドイツという国に心酔しているかのような発言からは最初から狂っているからこそ無情な判断ができ、象牙細工によって狂うことがなかったのかもしれません。
そんな男でさえ、副船長が潜水艦でて死のうとするときに象牙細工を渡すようにと口にする。すぐに発言を撤回して遺品として残すものはないのかと言い換える。
本当にどうすることもできない状態になるまで理性を保っていた彼が見せて心の隙間に象牙細工の魔力がスッと入り込んだ瞬間だったが、それすら副船長の反応を見て本来の彼の理性が勝つ。
クトゥルフ神話において正気を保ち続けることができる人物はまれで、彼のように最後まで正気を保つにはクトゥルフとは別のことで正気を失っていなければならなかったのかもしれません。