魚乃目三太さんの「宮沢賢治の食卓」の感想です。
宮沢賢治と生徒、恋人、家族といった人々との関係を食事という表現を通して賢治の人間性を見事に表現している漫画。
魚乃目三太さんが様々な本から宮沢賢治を調べ自らの賢治像をつくり描いている漫画。宮沢賢治を知っている人は37歳で病死した人物であり、生前に作品を発表はしているけど、本になったのは自費出版も合わせても2作しか出せなかった人物。岩手をイーハトーブという理想郷という著者の心象中を持った薄幸な人物。またはゴッホと同じく、生前には認められることがなかった童話作家。
そんな薄幸の人物に見えてくる賢治がもっとも感情が揺れ動いた花巻で農学校教員をしていた時代、彼の仲間や慕ってくれる学校の生徒、恋人、そして妹、彼らとの食事と彼の教員の出来事が感性に刺激を与え「注文の多い料理店」「風の又三郎」「銀河鉄道の夜」の着想につながる物語を描いている。
宮沢賢治を知ったのはラジオだった。小学5年生の時にカーラジオから聞こえた「宮沢賢治が好きだったのは天ぷらそばとサイダーだった」というCMを聞いてそれ以来、サイダーを飲むようになり、天ぷらそばとサイダーを一緒に食すようになった。
もう20年以上前のことなので一体何のCMだったのかすら覚えていないが、サイダーをそれ以降こよなく愛すようになった私は、宮沢賢治という人物は天ぷらそばとサイダーが好きな男として認識していた。
【タイトル】宮沢賢治の食卓
【作者】魚乃目三太
【ジャンル】グルメ
【出版】少年画報社
【年度】2017
【 メニュー 】
壱品目 鳥南蛮そば
弐品目 ハヤシライス
参品目 アイスクリーム
四品目 サザエのつぼ焼き
五品目 樺太のほっけ
六品目 焼きりんご
七品目 サイダーと天ぷらそば
八品目 食パン
九品目 弁当
十品目 西洋料理と大根めし
【 感想 】
漫画の中では、宮沢賢治はは食事をごちそうしている。生徒であったり、同僚、自分のファンと言った人たちと、ともに天ぷらそばとサイダーを楽しみ、そばを食べながら働くために故郷を離れる生徒を励まし、東京で食べたハヤシライスを妹のために料理をする。
食卓というタイトルの割に外食が多いとか、誰かともに食べる食事が描かれている。家で家族と落ち着いて食事を話は描かず、人のための食事を描く所に魚乃目三太さんが描きたい宮沢賢治が見えてくる。病魔に蝕まれて呼吸が苦しくなり死ぬ数日前でも、農民の相談に乗っている賢治の人柄を人と一緒に食事をする場面で見事に描いている。
漫画の中では、賢治の童話作家としてのイマジネーションが岩手での生活によって育まれてたこと、妹トシの死が賢治の心に遺したものも描かれている。
五品目『樺太のほっけ』では農学校の生徒の就職斡旋を目的として、花巻から汽車で樺太まで旅行をする。トシが亡くなってから半年近く、作品を作れなくなっていた賢治は「青森挽歌」「樺太挽歌」を言った詩を作れるようになります。
賢治にとっては樺太の旅はトシとの心の対話をする旅でした。
宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』は彼の死後に発表された作品、今では一番の代表作と言っても過言ではありません。そんな銀河鉄道の夜には初期稿と第4次稿で書かれている物語では、お話に大きな違いがある。初期稿ではジョバンニの銀河鉄道の旅は「ブルカニロ博士の実験によりジョバンニが見た夢だった」という夢オチのような設定がある。
第4次稿になるとそれまで重要な人物であったブルカニロ博士は登場せず、カンパネルラの川での行方意不明になる話が追加され、銀河鉄道の旅はジョバンニとカムパネルラとの心の対話を描いた作品へと舵をきっている。この変更には妹トシの死を樺太の旅行が賢治に強く影響していると言われている。
自費出版ならも『心象スケッチ 春と修羅』を発行し、『イーハトヴ童話 注文の多い料理店』を光原社から出版した教員の生活、恋人や妹トシとの別れと賢治にとって最も変化をした花巻の生活を食事風景と賢治の生き方とともに見事に描いている漫画。
賢治と言う人物
賢治は盛岡高等農林学校に主席で入学する。懲兵検査を父親から研修生になって懲兵検査を延期することを進められるがそれを嫌い、検査を受けている。彼が頭が良く、まっすぐな人物であることが見えてくるエピソード。
懲兵検査では兵役免除は免除になり、病院で胸膜炎と診断される。32歳で急性肺炎になっているため、彼が病弱であることもいくつも話が残っている。
お金にはあまり頓着がなく、給料が入ればレコードや食事、困っている人に分け与えてしまっている。当時の彼の教員としての給料は90円前後、当時の平均が月70円前後の時代としては教師という存在が大切にされて、他の職業よりも多くの給金をもらっていた。
食生活の変化
漫画で登場する賢治が食事はそば、ほっけ、大根めしと日本食と同じぐらいに、食パン、ハヤシライス、アイスクリームといった洋食が登場する。江戸時代が終わって40年以上の時が経って、少し高い料理としてハヤシライスやビフテキが食べられるようになった時代となったことが見えてくる。
それでも2000円もお金を出すとビフテキを食べられる令和の時代と違い、農地を持たない農民の家庭は大根めしを食べるのがやっとの生活をしている人たちもいる。
1900年頃は20年で給金が2倍にも増えるほどの日本という国が成長をしている時代、その波に乗る事が出来なかった人たちは昔よりも厳しい食生活が続き、賢治のように教員といった知識階級の仕事をしている人たちには少し背伸びをするだけで西洋料理を食べることが出来きるものだった。
賢治の人間性
漫画の中では賢治は満足に食べることが出来ない生徒に食事を食べさせ、同僚を食事に誘ったらごちそうし、病気で仕事ができなくなった同僚にはお金を渡している。賢治のお金に頓着しない性格をしていた。
結核で寝込んでいる妹のトシのために氷の詰まった桶の中で卵黄、砂糖、牛乳を混ぜでアイスクリームを作って食べせている。今のように冷凍庫もなく、氷が簡単に手に入らない時代に自分でアイスクリームを作って食べさせることができる生活。
そんな生活を続けることができたのは実家が商売で成功しているためにお金に困ることが無いからでもあり、給料をもらって3日後にはスッカラカンになっていたという賢治の逸話がある。
彼の手帳に書かれていた「雨ニモマケズ」のような生活を目指していたのかも知れないが、食生活に限っては玄米だけを食べていた生活ではなかったようである。
賢治が自身の作品の清書を学生に頼みお礼を渡したり、学校をやめる生徒へそばをごちそうするといった行為は彼生来のものであっただろうがそれを続けることが出来たのは家の支援があったからこそ続けることができた。
今の学校の教科書はわからないが、当時の小学校の教科書には宮沢賢治のような童話が取り上げられることはなく、芥川龍之介の『藪の中』や『鼻』、太宰治の『走れメロス』のような明治頃に生まれた文壇で活躍した小説家たちの内容ばかりが取り上げられていた用に思える。
そのため名作の『銀河鉄道の夜』を初めて知ったのもプラネタリウムを見てその素晴らしさに感動してそれから物語を読み、今まで読んできた漫画に様々なところで登場していることに衝撃を受けた。
私の中では天ぷらそばとサイダーが好きな宮沢賢治というイメージで、食べ物の人であった彼の食事の話を漫画にした。「宮沢賢治の食卓」はすんなりと受け入れることができた。
漫画の中では、彼の人生でもっとも感情が揺らいだ妹や恋人の物語と合わせて宮沢賢治が愛した岩手や当時珍しかった西洋料理を扱いながら賢治という人物の人柄をうまく表現している。