漫画『ハクメイとミコチ』の第1巻を読んだ時の感想と考察

【あらすじ】
9センチほどの2人の少女、生まれも育ちも違う二人、希望と憧れを胸に旅人の国であるヒノチへ訪れる。出会いもあれば別れもあり、ともに旅をした仲間とも別れて流れ着いた彼女たちはマキナタの街のはずれにある大きな楠で生まれた国も仕事も文化も違う二人がともに生活することに。

   
   
  
【タイトル】ハクメイとミコチ
【作者】樫木祐人
【出版】KADOKAWA
【雑誌】ハルタ


【感想と考察】

タイトルのまま、ハクメイとミコチという2人がマキナタはずれにある大きな楠の洞にある家で共同生活をしている。
活発で中性的な外見のためにぱっと見て男か女かもわからないハクメイ、古代の中華風の影響を受け服に長い黒髪から女性だと見た目からも分かるミコチの2人、身長も小さく10センチぐらいの彼女たちの生活を見学しているようなマンガであり、読むほどに同じ世界を体験したいと思いが募る。

二人ともが新しい地での生活であり、多くの出会いのなかでハクメイとミコチの嬉しいこと悲しいことことだけではなく、地に足がついた本当に何でもない普段の日常の描写が細部まで描かれていることでこの世界が本当に在るのだと読んでいる人に思わせる力がある。


『ハクメイとミコチ』は『ハクメイとミコチ ワールドガイド』によると身長9センチほど小さな人たちと言葉を話す虫や動物たちの世界、この世界をのぞく行為は本当に楽しく見ていて飽きない。

この感覚は模型の鉄道を見ている感覚に近いのかもしれない。細密に作られた鉄道が走る路線の周りにある家やビル、そこには人々の生活があるのではないかと色々な妄想を働かせてしまう。

この感覚がハクメイとミコチを読んでいるときにも起きているのかもしれない。細部まで描き込まれた街の中の人々の生活、何気ない会話、話ごとにでてくる彼女たちとは関係のない人々や街についてのコラム、人々の生活があり、住んでいた人たちの歴史が垣間見えてくる。断片的な情報が集まるほどに足りないピースを読者たちは想像して自分たちの中に小さな人々の世界を作っていく。

ハクメイとミコチの世界を作るために作者は様々なものを描くさいに工夫をしている。
1話目で出てくる新聞、風車、昆虫の運び屋、ヌートリアが引くバス、そして様々な食材などは改めて考えるとそれほど私たちの生活かけ離れているわけではない。

新聞は現代でもあるし、風車も少し前までは世界中で活躍してた。昆虫の運び屋やヌートリアが引くバスも明治時代には馬が引く路線が在ったようにそれほどかけ離れてはいない。

食材はハクメイ達に比べるととても大きな比率か描かれており、表紙のミコチが背負っている籠にはなめ茸、手にはクルミを持っている。私たちにもなじみのある食材が様々登場している。

このような私たちとの生活でも存在する、存在していたモノを形を変えて登場させることで私たちに必要だったものが当たり前のように彼女たちに必要なものとして登場してくることで世界の距離感がグッと近づいている。

それでも小さな人々の世界では不思議なことも起きる。1話の夕焼けトンビは夕焼けを浴びると赤く色が変わり、朝日を浴びるとまた色が変わるという変わった生態をもっていたり、2話目では付喪神たちがお祭りに参加してくる。

ファンタジー色の強い話を1話2話で持ってくることで読者のこの漫画に対しての許容範囲がとても広がっているように思える。

特に1話はタンスを持って家に戻るシーンから始まり、そのまま家での料理に森の中の描写と細かく彼女たちの日常を描き、それと同時にこの世界の不思議なファンタジーの両方を描き切っている。

1話は夕焼けトンビを探しに行くこと以上にこのハクメイとミコチの住む世界を見せることで世界に引き込んできている。

この素晴らしき小さい人々の世界を彼女たちと見てほしい。


最後に
清少納言の枕草子151段から
「ちひさきものはみなうつくし」